『葬送のフリーレン』17話の痴話喧嘩ですが、ザインの対応が完璧でしたね。 こういうキャラ、冒険者パーティに欠かせないのに、今回で別行動になるのが寂しかったです。
残りはお子ちゃまなのに大丈夫か?
大人の対応
「ふつう」というより「大人の対応」でした。
・別々に話を聴く
まず喧嘩しているふたりを分けることです。 同じ空間に置かない。 別の部屋に移ると空気が変わります。 気分が落ち着く。 そしてそれぞれの意見を尊重しながら話を聴く。
聞き手は裁判官ではありません。 どちらが悪いかを判定するためにいるのではない。 同じパーティなのだから、仲直りしてもらわないと困る。 喧嘩したままでも、とりあえず矛を収めてもらうのが目的です。 「犯人探し」をしても場は収まりません。
どちらかに責任があったとしても、その責任をどうするかは本人の判断に任せます。
・行動を問題にする
何があったか尋ねるのは王道として、そこで個人を責める方に持っていかない。 「ガキかよ」と言いながら「顔を触った行動」に話を移す。 ここで大切なのは「問題は個人ではなく行動である」のスタンスであり、自責の念に囚われている相手を「行動」から引き離すテクニックです。 自分の「行動」を外から見てもらうようにする。
「自己責任」にしない。 「行動責任」に変換する。 「自己」を「行動」から分けることで、「行動」に対するメタ認知の位置にその人の「自己」を置き直す。 こうすると「自己」は次の「行動」を考えるようになります。
「このままでいいと思うか?」と尋ねることができるのは、シュタルクがメタ認知の位置に「自己」を移したのを確認したから。 それ以前に尋ねても「俺が悪いんです」と「自己」と「行動」の区別がついてないレベルにとどまっていたでしょう。
・どうしたいかを繰り返す
「仲直りしたいです」はシュタルクの言葉です。 メタ認知の位置に移動すると「未来」の話ができます。 「過去の後悔」のフックがはずれ、時間移動できるようになる。
ザインはそれを繰り返す。 「仲直りしたいのならそれを相手に話すんだ」。 提案しているように見えるけど、実際に言っているのはシュタルク本人が望んでいること。 この構造がいいですね。 ザインはシュタルクと同じ「未来」を見てくれている。
「俺と違って、お前は根がいいやつだから」の前ふりも「お前の責任ではない」というメッセージ。 聞き手がワンダウンのポジションにつくことで、つまり「お前は良い奴だ。俺はお前を責めているのではない」と保証しながら、焦点を「行動」に向け直している。 ついでにフリーレンにもとばっちりが飛んでますけど。
・感情に焦点を当てる
フェルンのほうは被害者なので「行動」よりは「感情」ですね。 そちらに焦点を当てています。 気持ちを収めてもらうことが目的です。 「シュタルクも反省している。悪気があったわけじゃない」。 ザインはシュタルクの「気持ち」の話から入っていきます。 それはフェルンの「気持ち」を引き出す呼び水になっています。
もしザインが「フェルンの取っている行動」に話を振ったら、展開は変わっていたでしょう。 「いつまでも怒ってなくて許してやってはどうだ?」とかなんとか。 「行動」の話を持ち出す。 それでフェルンも許してくれるかもしれませんが、どこか腑に落ちないところを残すでしょう。 「怒っている自分」を軽く見られたというか、置き去りにされたというか。 未処理のまま先を急がされた気がしてしまう。
「感情」がポイントのとき「行動」の話は似合いません。
・「裏の気持ち」にも耳を傾ける
シュタルクの「気持ち」を説明しながら「あいつガキなんだ」とザインの「気持ち」も添える。 自己開示を少し入れています。 するとフェルンは「私の気持ち」が話しやすくなります。 「ちょっとだけ怖いと思ってしまったんです」。 表に出ている「怒り」の裏に「怖い」が隠れている。 これが話せたことで「気持ち」が軽くなります。
フェルンの「怖い」へのザインの応答もいいですね。 「うん」だけ。 掘り下げない。 当然否定もしません。 本人の感じた体験は「事実」なので「そうだったのだろう」と聞くしかありません。 「なぜそうだったのか」と掘り下げると、暗黙のうちに「そう感じるのは変なことだ」と否定が入ってしまいます。 そこは「うん」以外にありません。
「シュタルクのこと、嫌いか」。 ザインは「気持ち」に焦点を向け続ける。 この質問は別に「好きか嫌いか」が知りたいのではないでしょう。 どんな答えが返ってくるかは関係ありません。 関心があるのは、質問の内容ではなく、質問の持つ効用です。 フェルンが「自分の気持ち」と向き合う時間を作る。 それが目的ですから。
「そう見えますか」とフェルンが答えたところで終了です。 視点がメタ認知の位置に出ている。 「裏の気持ち」を言葉にできて「怒り」のフックがはずれた。 その証拠なので「じゃあ仲直りだ」と「未来」を示して終わり。 あとは当事者に任せるだけです。
ふたりの話し合いではザインも口出ししない。 関係の修復はふたりの「責任」です。 本人たちの「やるべきこと」に介入してはいけません。
6つのポイント
ポイントを要約してみます。
- 本人の困っていることが「行動」か「感情」かを見極める。
- 「行動」であれば「責任」を棚上げし「行動」に焦点を当てる。
- 本人がメタ認知に移行し「未来」に話が移れば終了。
- 「感情」であれば「自己開示」しながら「感情」に焦点を当てる。
- 「表の感情」の下にある「裏の感情」が表現できたら終了。
- 「実際にどうするか」は本人たちに任せる。
この6つですね。 短かなやりとりの中で「大人の対応」の要所が押さえられている。 ザインが聖職者として、これまで人の悩みに寄り添ってきたのが見て取れます。
ニコニコ動画では「生徒指導の先生みたい」というコメントが流れますが、本当ですね。 学校の先生と生徒の対話です。 しかも、子どもたちと一緒に悩んできた先生なら「ふつう」にしてそうな相談の流れ。 話の流れに棹を刺して邪魔するようなことはしない。
でもなかなかできるものでもないなあ。 やっぱり難しい。 こうした「大人」と出会える子どもは幸せだろうと思う。 自分もそうなりたいと「未来」を見ることができる。 あ、そういう「大人」はアニメの中でもいいかな。
で、フリーレンは本当に仲裁できなかったんだろうか。 「ヒンメルならそうした」と言って仲裁しそうなのに。 今回のは、これから別れるザインに感謝を伝えるためのひと芝居だったんじゃないかと勘ぐってしまいます。
まとめ
ついでに視聴者の代弁もする。 ザイン、働きすぎ。