Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

仮見出しから書く

随筆は「私が書く」より「筆が書く」が近い。 ニーチェの「Es denkt in mir.」、つまり「私の中でそれが考えている」という触感である。 「私がひらめく」とは言わない。 あくまでも「考えがひらめく」。 たぶんそれが中動態ということなのだろう。

仮見出し

見出しは本文を書き終わってからでないと決定できない。 そう思っていたのですが、よくよく考えるとちょっと違いますね。 箱メソッドで書いていると、まず「仮見出し」を付けてからズームし、その「仮見出し」に対して連想することを箇条書きで並べていきます。 テーマを定めてあるので、その方が書きやすい。

ある程度書いてから並び順を入れ替える。 すると「自分が何を書こうとしているのか」のマップが見えてくる。 そこで改めて「仮見出し」を付け直してみる。 そんなプロセスがあります。 テキストと対話している感じ。

今回「ダンジョン飯」で、若い頃のセンシが迷宮で迷子になり、道に迷いながらも「いま自分たちが望んでいるもの」が迷宮に現れる現象を語っていますが、執筆プロセスでも同じことが起こります。 書くことに迷っていると「欲望に応えるもの」が現れてくる。 それを拾い集めることでプロセスが進む印象がします。

あのエピソードについては「グリフィンもドワーフたちの欲望に応えたものではないか」という疑問が残ったんですよ。 検証したいと思ったんですが、ほら、いまニコニコ動画サイバー攻撃を受けててアクセスできなくなってるじゃないですか。 困りますよね。 ニコニコ動画が復旧しないと、考察が捗らない。 早く直らないかなあ。

とまあ、テキストとの間にはコール&レスポンスがある。 呼べば答える。 山の木霊のうれしさよ。 迷宮に棲む木霊がグリフィンを召喚する。 生きるのに疲れた者たちから魔物に遭遇する。 あるいは「魔物がいるんじゃないか」という恐怖が魔物を生む。 恐怖は欲望の一種だから。 センシがグリフィンを見なかったのはそれではないだろうか。

そんなことを思いました。

テキストは手紙である

で、随筆段階では唐突に関係ない「箱」を用意できます。 いま、こんな感じに。 思い浮かんだら、文脈と関係なく「仮見出し」を立てる。 それが随筆段階では許されます。

でも読者は「ここには文脈がある」と読んでしまうでしょう。 たしかに「箱」が語り始めるのは、その「箱」の中身よりは「箱と箱の関係」に「欲望」が隠れているからじゃないかと思います。 執筆者は文脈を意図的に作り出せない。 随筆段階では、それは何か不明だけど、マッピングすると浮かび上がる。 そんな「何か」が「関係の間」に潜んでいる気配がします。

とりあえず「テキストは手紙である」を引き受け連想してみましょう。 以前から考えていることですね。 「書くこと」には宛名がある。 何かを見たり聞いたりして、それに対して「返事」しようとすると、それがテキストになります。 本を読んで、その執筆者に対し「ここはどう考えたらいいのでしょうか」と質問したくなる。 レスポンスとしてテキストが湧き出してくる。

もちろん、宛名が「自分」である場合もあります。 それは「覚え書き」と呼ばれたり「日記」と呼ばれたりします。 「未来の自分」に向けて「今の自分」を残す。 以前はそれを「手紙」としなかったけど、最近は「宛名として扱ってもいいんじゃないか」と考えてます。 結構、自分の昔の文章には「自分では思いつかないこと」が書かれている。 あのときの「自分」はいったいどこに行ってしまったのだ?

テキストの構造

とすると「手紙」の役割を分析すると、テキストの類型化が得られるかもしれません。 他者への呼びかけとは何か。 「手紙の書き方」みたいな本を見ればいいかな。 思いつく範囲では「質問状、依頼状、感謝状」の3つですね。

小さな子どもの言葉も「あれ、何?」「これして」「ありがと」でできてるし。 海外旅行するときも、まず覚えないといけない言葉はこの3つ。 質問と依頼と感謝。

でも「いやー」も重要だな。 「抗議文」というか。 自分の違和感を言葉にする。 テキストに治療的な効果があるとしたら、ここでしょう。 漠然とした違和感を、飲み込むのではなく咀嚼する。 それは「自分」の輪郭を明らかにし「欲望」に形を与えます。

あ、そっか。 まず「抗議文」からですね。 「どうも釈然としない」という思いがなければ質問など出てきません。 Yesマンばかりだと会議は沈黙になる。 違和感が「認識の欲望」を産めば「質問」になるし、「行動の欲望」を産めば「依頼」になる。

「いやいや」を習得する二歳児は大切な時期です。

この流れからすると「感謝」は「関係の欲望」です。 「あなたのことが好き」と思うから「ありがとう」になる。 ほどよい距離感を築きたい。 親しき仲の礼儀。

迷惑に思っているなら「ありがとう」とは言いません。 「困るなあ」と抗議文で留まるか「こうしてほしいけど」と依頼文に進むか。 その思いに相手が応えてくれたとき「ありがとう」が出てくる。 感謝には関係を調節しようとする機能がある。

まとめ

あと随筆だから、唐突に終わってもいい。 結論が目的ではなく、まず迷宮から無事帰還するのが大事。 それからマクラをつけると文章らしくなる。