ちょっと日和っています。ピヨ。
無刻印キーボード
今のオーソドックスなスタイルは無刻印。 キーボードから文字を消しています。
でも手元を全く見ないわけにはいけません。 触覚が使えないからですね。 キーを押し込む感じがないから指の位置がズレていく。 こればかりはどうしようもない。 指の位置を視覚的に確認している。
視覚的ガイドとして特殊キーの色は変えました。 日本語入力のときは「D」と「K」を色付け。 これがないと、いつの間にか英字キーボードになって「はぁ?」ってなります。
習慣の初期化
新しい発見とすると、削除キーですね。 削除キーを押そうと「P」をタップすることがよく起こります。 これは純正キーボードの削除キーが右上にあるからと思われる。
どうやら新しいキーボードを学習しようとすると、一度指先の学習がリセットされて、一番古い習慣に戻されるらしい。 身体には先祖返りの現象があるようです。
新しい場面に遭遇すると、最初期の習慣から順に試していくのでしょう。 習慣は初期化される。 そして試行錯誤しながら新しい環境にあった習慣を形成する。
それまではミスも起こるし、ちょっとストレスが高くなります。 三日坊主というのは、そのストレスで学習を放棄する現象かもしれません。
指先のチャンク化
無刻印自体は快適です。 指がQWERTY配列を覚えている。
考えるとダメですね。 意識的な記憶として覚えているわけじゃないようです。 動作としてシークエンスを覚えている。 「おぼえている」とタイプすると「obo-ete-iru」の三分節で動きが出てきます。 これもチャンク化だろうなあ。
いくつかの動作をまとめて上位の動作単位になっている。
なので「desu」や「masu」は速い。 「keredo」や「sikasi」の接続詞も速い。 反対に名詞を打とうとするとスピードが落ちます。 名詞はチャンク化しにくいのでしょう。
反復練習
あと英字キーボードになったとき。 これが難しい。
英語自体をチャンク化できていない。 実感しますね。 頭で読み書きしていて、肉になっていない。 こういうのは無刻印だと指が迷子になりやすい。
スクリプトを組むとき英字キーボードを使います。 if や else といった単語が飛び交う。 よく打っているはずなのに考え込んでしまう。
キーボードは考えたらダメです。 考えて打った動作はチャンク化されません。 考えてしまったら、3回ほど同じ単語をタイプすることにしています。 反復練習する。 考えずに打てるところまで繰り返します。
それで覚えれるなら苦労はないですが、同じ単語に出くわしたとき「考える時間」が減少するように思います。 そうやって習慣付けを形成していくのでしょう。
まとめ
新しい環境に置かれると、まず習慣のリセットが行われる。 そしてミスを反復することでチャンク化が進み、環境に適応する。 そうした学習プロセスがあるようです。
ミスは初期状態との差異を検出するのに必要で、なかば意図的に起こしてるんじゃないかと思われるくらい。 失敗しないとチャンク化しない。
無印キーボードと言わないのはなぜか考えてみたら、無印良品のキーボードみたいに聞こえるからですね。 無刻印と言わないと勘違いされてしまう。