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東大の広報誌『淡青 vol.45』が面白かった

なぜ「面白い」って感情はあるの?

淡青

東大の先生方が「素朴な疑問」に答えます。どれも質問がいい。言われてみれば確かに、そのことを考えてみなかったわ。そういう疑問を並べて現代の研究成果を教えてもらおうという企画。無料でPDFがダウンロードできます。

  • 疲れるとどうして眠たくなるの?
  • 秋にモミジが赤くなるのはなぜ?
  • 深海魚はどうして光を放つの?

などなど

東京大学広報誌『淡青』 vol.45

「なぜ」とは何か

この答え方に二通りあることに気づきました。「なぜ」と訊かれるとどちらかで答えるものらしい。それは「仕組み」と「理由」。どういう仕組みでそういう現象が起きるのか説明しようとする先生と、どういう理由があってそういう現象が維持されたか目的を答えようとする先生。その二通りがあるようです。そうなることに到った「歴史」を答える場合もあるけど、それは「理由」のほうに入るかな。

確かプラトンだったか、質問に答えるとき「ロゴスで答えた方がいいかね。それとも神話にしようか」と言っていたのを思い出しました。これも「仕組み」と「理由」ですね。ロゴスは言葉の論理性に従って回答を導き出す方法。仕組みを抑えます。

それに対し「神話」は喩え話を使う方法。擬人化して、虫の気持ちになったり植物の気持ちになったりして、現象の「理由」を理解する。体感としてわかることをメタファーにすることで、「わかる」の領域を拡張します。「わからないこと」をわかるようにするには、論理で詰めていっても広がりません。媒体としてメタファーが必要になる。それが「神話で説明する」ということです。

この広報誌を読みながら、どこまでが「仕組み」で、どこから「理由」か考えてみました。初めは理系と文系の違いかと思ったのですが、そうでもなさそうです。答えを書いている先生が「読者慣れ」をしていると「理由」を使う印象がしました。読者に「知りたがりなのに、まだ知らない人」を想定していると「神話」になり、ただ自分の知識を披露している先生は「仕組み」に終始する感じ。

「仕組み」も神話

考えてみると、「仕組み」の説明もメタファーだと思いました。機械を喩えに使ってますね。「歯車Aが動くと歯車Bが動く。歯車Bが動くと歯車Cが動く」。その「歯車」がカルシウムだったりホルモンだったりする。

そこには「もし機械に喩えるとしたら」の一文が抜けています。「知っている体験」を拡張して「わかった」の領域を広げていく。「知っている体験」に「機械」が用いられるのが「仕組みの説明」ということになりそうです。

「機械に喩えるとしたら」には「機械」に馴染みがあることが条件になります。「機械」を知らない人たち、ある意味「原始的」と呼ばれる民族からこの発想は出てこない。「機械」をメタファーにして「ああ、そうか」と理解できるのは「機械に同一化したこと」が体験としてある場合。馬車を見て、まるで自分が走っているような爽快感を感じたことがある、とか、そういう条件が先行するはずです。すると「創造主」という概念が現れて出てくる発想だと思いました。古代ギリシアだな。

まとめ

でも、こういう冊子を出してくれるのはうれしいな。