LifeLogのObsidian版。
LifeObs
以前は「Lifelog」という小文字表記だったのですが、今のショートカットだと同名扱いにされます。困った。仕方ないのでObsidian用とわかる名前に変えてみました。
準備
ソース内の最後にある保存先をObsidianのデイリーノートにしてください。journalsとなっているところ。タップすると置き換えができます。日付は「yyyy-MM-dd形式」になっています。これも変更箇所があるので、別の形式の場合は書き換えてください。
使い方
Logseq版に準じます。ただし、タグの類いは付けないことにしました。タグを使うとObsidianが見出しと解釈します。忖度しすぎ。
ショートカットをホーム画面に保存すると、アイコンをタップするだけでObsidianに書き込みができます。Obsidian自体は起動しないので保存が滑らか。
Safariから
Safariの共有シートからLifeObsを起動すると、そのページのリンクを記録します。タイムスタンプ付き。範囲選択すると、その部分も追記する。いつ、どこを見ていたかのログになります。
なお、SafariでYouTubeを見ていたときは動画を埋め込みます。jpgファイルを見ていたときは画像を埋め込みます。画像の取り込みは下記記事を参照のこと。
Webから画像を抽出一覧するiOSショートカット - Jazzと読書の日々
ライフログ
書くことは頭と身体の対話である。頭と身体とは、アリストテレスの「観照知と実践知」という2つの知性であり、それは理性と経験、つまり大陸合理論と英国経験主義の二大潮流となっている。抽象的思考と具体的思考と言い換えてもいい。
「日誌」はその対話のベーシックな姿だろう。とくに「いつ」は記憶に残りにくい。何があったか、誰といたか、は覚えていても「それはいつだったか」はあいまいになる。規則性に捉われやすい理性は時間を時折無視してしまう。
「いつ」とは文脈である。偶運。身体的で、影となりやすい部分。何がきっかけだったかは行動履歴を録らないと気づきにくい。「日誌」の効用はここにあると思う。
まとめ
とはいえ、昨日も見渡せるLogseqに分があるんだよね。