Jazzと読書の日々

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セルフレジは性善説なのか

grayscale photo of round metal tool photo – Free Image on Unsplash

近所のスーパーにセルフレジが導入された。

ルフレ

自分で商品のバーコードを読み取って、表示されたお買い物金額をプリペイドカードで支払う仕組み。レジ列に並ぶ時間を短縮できるし、お会計で小銭を探さなくて済む。とても便利だと思う。

十数台のセルフレジに一人の店員さんが付いていて、困ったときには助けてくれる。バラ売りの青リンゴにバーコードがないけどどうすればいいのか。この前もらったクーポン券はどこで入力するのか。手が止まっていると、店員さんが教えてくれる。

おかげで買い物にかかる時間が短くなった。お店も効率よく商品管理ができるのだろう。有人レジに並ぶのは、新しいものに尻込みするお年寄りばかりになっている。

性善説

しかし、このシステムに穴はないだろうか。バーコードを読み取るふりをして、実は読ませてなかったり、キュウリの本数を少なめに入力したりしてないか。それをどうチェックするのだろう。

そこには「お客さんは不正をしない」という信頼がある。「間違ったことはしない」という前提がある。ポケットにお菓子を詰めて精算せずに済ますようなことは「あなた」にはできないでしょう。一見、そうした性善説に基づいたシステムに思われる。

もちろん、経営側も能天気ではない。店内には監視カメラが備えてある。精算が済んでいない商品を持ち出そうとすれば出口で警報が鳴るかもしれない。おかしな挙動をしているとプリペイドカードがロックされる恐れもある。そうした不安が行動を「正しいもの」へと訓練する。おやおや、パノプティコンではないか。

マクドナルド化

マクドナルド化する社会
ジョージ リッツア (著), George Ritzer (著), 正岡 寛司 (著) & 1 その他

20世紀の終わりに『マクドナルド化する社会』という本が社会学で流行ったことがある。マクドナルドの経営が、それまでの外食産業とどう異なるのか分析した調査レポートである。確か2つの効率化が柱として挙げられていた。

一つは従業員のクラーク化である。クラークとは「係員」という意味で、手順通りに機械を操作する仕事である。エキスパート(熟練者)と対比される。従来の食堂は、厨房で料理を作るコックと、店内で接客するウェイトレスに分かれていた。ウェイトレスは客から肉の焼き加減やピクルスの好みを聞き取り、コックはその注文通りの味付けをする。どちらもプロの仕事、熟練を要する職業である。

マクドナルドはそれをクラーク化した。料理はメニューの中からしか選べない。調理も数週間の研修で習得できる範囲にする。どの店で食べても同じ味を提供する。「熟練」の排除である。仕事がとても簡単になった。

もう一つは客の動線である。従来は店に入ればテーブルに付き、ウェイトレスが水を運んできてくれて注文を尋ねてくれた。心地よいシートに座りながら談笑し、食べ終わったら食器をそのままに退席する。後片付けもお店がしてくれるものだった。

マクドナルドは、この仕事を客自身にさせることに成功した。カウンターで自ら注文し、商品を席まで運び、食べ終わったらトレイを返却口に持っていき、燃えるゴミと燃えないゴミの分別もする。それをしないと食事できないようになっている。数回繰り返せば、客もそれを自然と思うようになり、身体レベルで効率化されていく。

人工知能の未来

ルフレジは、マクドナルド化が社会に浸透した証だろう。むしろ近所のスーパーは遅かったほうだ。同じ規範性が求められ、そのルールに従っていれば快適で、自分の采配で物事が進む。本屋でも映画館でも。それのどこが問題だろうか。

結論から言うと、その社会に人間は要らない。クラーク化した仕事は人工知能に置き換わっていくだろう。病院など本来エキスパートの仕事も、電子カルテを通してクラーク化し、やがて人工知能で診断や治療が行われるようになる。クラーク化すればエヴィデンスを測定しマニュアル化できる。医者がいなくても、患者自身がパソコンの質問に答えることで、一定水準の良質なサービスを受けることができる。

武者小路実篤が書いていた。「すべての仕事をロボットがする未来になれば人間は自由になれるだろう」。お金持ちの発想である。仕事が無くなれば貧困層が増える。当たり前じゃないか。そして教育や福祉もセルフレジ化していく。「就労係数」に応じて、それぞれに「適職」が分配されるだろう。何割かは「無職」になるとしても。

まとめ

明るくないなあ。どうも明るいビジョンが思い描けない。まあ、会社は慈善事業ではない。人件費を削減したい。そして、この国も慈善事業はしない。「株主アメリカ」の顔色をうかがう、ただの「一企業」である。そこは仕方ない。

新しい社会には新しいニーズが生まれるはず。今までの「仕事」は消えるにしても、人間でなければできないこと、それはかならずあるだろう。それは意外とマクドナルド化以前の「人が人と会うこと」に重きを置いた仕事ではないだろうか。

(といってもスローフードでもないなあ。「正解がある」としてしまうと、それも人工知能に取り込まれて個別性が抹消されるから要心しないと)