Jazzと読書の日々

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「かけこみ人生相談」に見るライフハック

あ、そうか。 こういうジャンルもあるのか。

かけこみ人生相談

「人生相談」。 雑誌や新聞にかならず載っている。 これが読み物として成立するのは「読みたい人たち」がいるからですね。 ほかの人の悩みごとを読んで、その答えを知りたい。 そうした願望が一定数あるから成り立つジャンル。 これはなんだろうか。

たぶん他人の悩みを読みながら、自分の悩みも重ねて「わかるわかる。ほんと、どうすればいいんだろう」と一緒に考える。 そういう需要があるから紙面に載せられているのだろう。 読み物としてのカタルシスがある。 それは「問題解決」というライフハックの凝縮版になっています。 橋本治ならこの問題をどう調理するのか、と。

橋本治の切り口にはパターンがあって「この相談には書かれてないことがあります」と欠如に注目していきます。 足りないものを見つける。 普通に読むと「書いてあること」に目を奪われるのですが、彼はそんなことをしない。 「ここには何が書かれていないのだろう」と考えながら回答を組み立てている。

あるものが無いばかりに相談がまだ「悩み」に成りきれていない。 それを見つける。 そして「もしそれがこうだったら」と仮説を立て、その仮説をもとに情報を組み立て直します。 根が小説家なんだろうなあ。 個人の物語を編み上げていく。 すると問題が「悩み」になり「どうすれはばいいか」が導き出せる。 そうした「回答」が並んでいます。

これは「添削」だと思いました。 執筆プロセスの「編集段階」。 「編集」は「推敲」と思ってたけど「添削」が正しいかもしれません。 添え木を立てる。 「もしこうなら」と添えて、どう文章が成長するか観察してみる。

相談の三段階

「答え」だけだと質問者に伝わらないかもしれません。 アドバイスだけ見ると「そんなことできません」という内容です。 「質問して損した」と思われそう。

でも橋本治の意図はそこじゃないように感じました。 「問題を添削して、悩みの形を整えてみませんか」というお誘いになってます。 質問を書き直してみる。 足りない部分を書き足すと、それまでと違う「悩み」が出てくる。 それなら対応できる。

そうなるように誘導してると見たほうがスッキリします。

ラカンが「セミネール」で分析を「はじめは他人の話をし、それから自分の話をし、そのあと相互作用の話をする」と3つの段階に分けていたけど、この「人生相談」は最初の「他人の話」ですね。 「他人(上司、親、子ども、配偶者、友人)がこんな困ったやつなので迷惑している」という愚痴が並んでいる。 それは入り口に過ぎず、まだ「悩み」と言えないのは仕方ないことです。

この段階ではどんなアドバイスも無駄に終わる。 結局「相手を変えたい」なので「こうしてみたら?」と言われても「なんで私が?」という反応しか出ない。

そこには「人が変わることはない」という信念が隠れてます。 それを相手に向けたところで、相手も「なんで変わらなきゃいけないの?」と思うだけです。 「人は変わる」と信じていない。 そのことが「問題」です。

橋本治が「あなたが何に困っているかわかりません」とか「それであなたはどうしたのですか」と添削するのはそこを意識している。 「自分」を研究対象にする。 相談の段階を「自分の話」や「相互作用の話」に持っていくためです。 相談を先に進め、それがどうなるかシミュレーションして見せる。 それが彼の相談芸になっています。

宛名を間違えた手紙

そうは言っても「他人の話」でも質問者にとって凄いことです。 それまではモヤモヤと息苦しさを感じていた。 でも「考えても無駄だから」と考えないようにしてきた。 相談の内容がどれも数十年越しの熟成された「困りごと」で歴史を感じます。

よく耐えてきたなあ。 そこを「人生相談」のために文章にしようと思い立った。 それは大きな一歩です。 よく頑張った。

「質問」が練れてないのは仕方ありません。 初めて自分の「悩み」と向き合おうという覚悟だからです。 手紙を書いて「自分はこんなことに悩んでいたのか」と発見する。 今まで自覚してなかった。 そこは入り口なんですよ。

本当なら、橋本治と何回か文通して「悩み」を育てていければいいのだろうなあ。 添削していくと「自分の話」が出てきて「相互作用の話」に移る。 すると「この関係をどうしたいか」の欲望が見えてきます。 「どうしたらいいのか」で始まり「そうしたい」に変わる。 それが問題解決です。

載っている質問にはそこまで練り込まれているのもあって、そのときの橋本治の回答もパターン化しています。 「じゃあ、そのことを相手に伝えましょう」。 手紙を出す。 「困りごと」が「悩みごと」になれば、その手紙の宛名は「橋本治」ではありません。 その「相手」に届けるべきメッセージになっています。 そうなるように添削する。

それが橋本治のスタンスですね。

要は「人生相談」とは「宛名を間違えた手紙」であり、それを本来の「宛名」に差し戻すまでが「相談」なのだと思いました。

まとめ

「人生相談」ってジャンル、面白いなあ。 回答にその人の「ライフハック」が表れる。 橋本治の「私が同じ問題に直面したら」の解き方が示されています。

ほかの人だったらどんな回答をするんだろう。 ちょっと重点的に読んでみたいと思いました。