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歩考:言語は二足歩行から生まれる

Out for a little twilight walk on the boardwalk in Ocean City Maryland. |600 Backlink | Photo by Chris Hardy on Unsplash

何も書くことが浮かばないときは散歩に出かける。 アイデアは考えようとすると浮かんでこない。 でも歩きながらだとあれこれ連想が流れていく。

「徒然 peripatos」とはこのことだろう。

初歩と初語

ハイハイをしていた赤ん坊は1歳の誕生日を迎える頃、二本の足で立ち上がります。 掴まり立ちをしてキャッキャと歓喜する。 そして恐る恐る歩き始める。 この歩き始めを「初歩」と呼びます。

並行して言葉を話し始めます。 それまで「あーあー」だった喃語が「マンマ」と一語文になる。 意味のある言葉が口から出てきます。 こちらは「初語」と呼ばれます。

なぜ初歩と初語は同じ時期に現れるのでしょう。 たぶん、一つの出来事の二つの側面だからです。 歩行と思考は双子である。 頭部を支える筋肉の発達が呼吸器の制御力を上げます。 言葉を話すということは呼気の調整ができるということです。 意識的に息を区切りながらリズムを生み出す。 それができないと話になりません。

バンキング

このリズムはどこから生まれるのか。 ハイハイの頃から手足を動かすリズムはあります。 でもこれは四足歩行とは異なります。 四足歩行からは言葉は生まれない。

赤ん坊は仰向けで寝ているときでも、両足を交互に蹴り出す動きをします。 足の裏を支えてあげると、右左右左と踏んでくる。 「ストンピング」と呼ばれます。

でも両手は別の動きをします。 両腕を左右に開きながら床を叩くような動きをする。 「バンキング」と言います。 交互に動かすのではありません。 同時に開く。 ということは、四足歩行の練習ではないのです。 では何の準備?

もちろんこれは将来プロレスラーになるためのトレーニングです。 受け身の練習ですね。 あるいは空手チョップかラリアット。 「手は歩行に使わない」と知っている。 手はあらゆる技に備えて自由に使っていい。 そのため受け身の猛特訓をする。

水棲生物

このバンキングに合わせて喃語が出てくる。 呼気の制御ができると気づく。 呼気の制御ができる哺乳類は水棲生物に限られるので、人間も昔は水の中に住んでいたのでしょう。 するとバンキングは平泳ぎですね。 水を掻いている。 顔が水上に出たとき息を吐く。 その動作が喃語になっています。

水中だと身体が支えやすくなります。 足が水底につく高さなら自然と二足歩行です。 「あまり深いところにいっちゃダメよ」と言われるでしょう。 はい、はい。

エディタ

なので、二足歩行とバンキング。 この動作が言葉を刻むリズムになります。 足を動かすと思考が進む。 手回しオルゴールのようにメロディが出てくる。 歌を口ずさむと歩調が揃ってくる。 身体が思考になり、思考が身体になります。

だから「考える」とは「歩く」の裏面。 エディタに向かって座っているときにも「歩行」がある。 BGMを流す人もいるでしょうし、静寂が落ち着く人もいるでしょう。 「書くこと」に「歩行」が隠れているからです。 歩行というより平泳ぎですね。 水を掻き分け、草むらを掻き分け、前に進んでいく。 この快感。 自由さの感覚。

その「歩行」を呼び覚ますのが「エディタ」です。 いいエディタには歩くリズムが潜んでいる。 両手を広げるたびに視野が広がる。 言葉を掻き分ける楽しみがある。

まとめ

散歩しながら「こんなの」が出ました。

もしかしたら、赤ん坊のときに初歩が先だったか初語が先だったかで性格が異なるのかもしれません。 行動主義か観念論か。 プロレスラーになるか、漫才師になるか。