Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

言葉は地図から生まれたのではないか

体験はマップ型を、認知はルート型をしている。

マップ型とルート型

この間の図から気づいたことがある。

graph LR
a --- b
b --- c
c === d
d --- e
d --- a
b --- d
a === e
c --- e

体験は「地図」の形をしている。 全体を一瞬で掴みとる。 「何かわからないがここはまずい」みたいな直観が支配している。

graph LR
a --> b
b --> c
c --> d
d --> e

直観では頼りないので、体験を分析して認知が生まれる。 「雲行きが怪しい。雨が降りそうだ。雨はまずい」と分節化する。 認知には視点があり、その視点が「道筋」を辿ることで記述をする。 言葉の役割は「地図」を「道筋」に変換することにある。

すると、言葉より先に地図を用いた時期があるのではないか。

言語地図起源説

「言葉がなかった頃は地図で表現した」と仮説してみる。

人類が「ウホウホ」としか話せず、狩猟採集で暮らしていた時代。 狩りに出かけるとする。 数人が集まり、どういう段取りで獲物を捜索し捕らえるか話し合う。 「話し合う」とはいえ、言葉はないから話にならない。 でも、地面に図は描くだろう。 獲物を狩るときA班がどこから攻め、B班はどこで待ち構えるのか。 小石を獲物や自分たちに見立ててシミュレーションする。 みんなが納得してくれたら、いざ出発だ。

あるいは森の奥にどんぐりの木が密集している。 これが美味しかった。みんなに教えてやろう。 発見した人が村に降りてきて報告をする。 そのときも地面に地図を描く。 「この山のほう、高い木が目印、どんぐりいっぱい」。 言葉はないから、絵にしていく。 「安全に行くにはこの川を使う、川浅い」。 こうしたときも略図を用いて説明しただろう。 言葉はなくても地図を使えば意志疎通ができる。

言葉とは何か

すると、書き言葉は地図から生まれたのではないか。

今ある理論では「話し言葉が先にあり、書き言葉はそこから作られた」となっているが、これは怪しいかも知れない。 絵が下手な人類は一定数いる。 「その絵はバッファローなのか」と言われてしまう。 「ウナギにしか見えない」と笑われる。 いや、恥ずかしい。 引きこもりそうだ。 これだと困るので、牛は「牛」という記号で表す。 魚は「魚」にする。 そういう約束事ができれば、下手な絵でも用は足る。

もちろん、話し言葉も地図から生まれた。 バッファローの群れを表すのに一頭ずつ描いたら日が暮れる。 小石を持って「これ、バッファロー」と置けばそれで済む。 地図の補助として単語が発生した。 さらに移動中に作戦が変わったときも言葉があれば便利だ。 地面に描く暇がない。 そうしたとき「そっちに一匹」と指示する。 動きながらプランを変更する。 これもあらかじめ「地図」があって言葉がサポートしている。

声を使ってイメージの地図を変更すること。 それが話し言葉の始まりだろう。

地図を描く動物は人間以外にいない。 たぶん、いないと思う。 そこが言葉の発生する分岐点ではないだろうか。 地図が描けるということは、自分も含めた「全体」を捉える視野があるということだ。 不思議な能力だと思う。

乳児の観察からは、言葉に先行して「指さし」の段階があると知られている。 赤ん坊が気になるモノを指でさし、大人が「ワンワンがいるね」と応える。 この時期がないと言葉は獲得できない。 空間の中でモノを定位し、それを他者に示す。 それは既に「地図」である。 他者の視点を先取りするから「全体像」が描ける。 たぶん「神様」はその視点の極に想定されるものなのだろう。

まとめ

ということで、文章を書く前に「地図」が要る。 マインドマップはこの用途に適していない。 最初に視点を決めてしまうからだ。 今のところ「地図」は紙に手書きするのがベターである。 ここをデジタル化する良策はないものだろうか。