Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

Textwellから入ってScrapboxに記録を残す

ユーザーエイジェント修正版。

Scrapbox

Textwell 2.3.3
分類: 仕事効率化,ユーティリティ
価格: ¥400 (Sociomedia)

Textwellに書いたテキストがScrapboxに保存される。 ScrapboxのページがTextwellに取り込まれる。 双方向の転送ができるアクションです。

Import Textwell ActionScrapbox

古くなっていたUserAgentをiOS17に修正しました。 ソース内の変数HOMEをご自分のページに書き換えてください。

使い方

書いた文章がそのままScrapboxに保存される。

1行目がタイトルになります。 同名のタイトルがあると、連結するか別ページで保存するかを選択できます。

単体化

ScrapboxSafariで「ホーム画面に追加」をすると単体のアプリになります。 これがAppStore用のアプリを出さない理由ですね。 そのままがアプリなのだから。

アプリ化するとスライドオーバーに仕込めるので、画像のアップロードとかがドロップで済むようになります。 エディタの作法が独特だけど、スライドカーソルも使えるし、右肩の矢印ボタンでインデントや行移動ができるし、慣れるとこちらが自然に思えます。 練り込まれている。

個人的にはShareボタンで転送するのがテキスト本文だといいかな。 今はリンクのアドレス。 たしかにメールにリンクを添付するならそうだろうし。 これは迷いどころ。

あ、ObsidianのデイリーノートにLifeLogすればいいか。

まとめ

バイス間の共有にはObsidianよりScrapboxをよく使う。

「スマートな悪」の読中感想文

なんでか「感想文を書くのは本を最後まで読み終えてから」という思い込みがあって、今まで読書メモも読み終えて書くようにしてました。 これは義務教育の弊害だな。

読書感想文は読後感想文でなくてもいい。 というか、読んでいる途中に自分の理解や問題意識を整理しておく方が、本の後半を読むとき明晰になるというか、「著者との対話」として読み進めることができるんじゃないかと思う。 その方が面白くなりそうです。

スマートな悪

戸谷先生がハイデガーアーレントを駆使して「スマート」について考察している。

タイトルからしてやられましたね。 「スマート」が現代を切るキーワードとして取り出せるとは思ってませんでした。 「スマートフォン」の「スマート」です。 実際、あれこれのデバイスに「スマート」が使われている。 この「スマート」とは何か。

言われてみれば、これは妙な概念だ。

超スマート社会

日本政府の目指す「超スマート社会」。

「人類は、狩猟採集の時代、農業の時代、工業の時代、情報の時代と進歩してきた。 この進歩の先にやってくる「Society 5.0 = 超スマート時代」に合わせた政策を施行せねばならない。」 (「一気通貫で推進」って麻雀でもしてたのか?)

まさか「進歩史観」のようなマヌケなものが残っているのも驚きですが、これから到来する時代を「超〜」と呼んじゃうあたりも恥ずかしい。 厨二病感が漂ってます。 その文脈に現れる「スマート」。 これが今回のターゲットです。

「フィジカル空間とサイバー空間を融合させて最適化する」というコンセプト。 要するに現実をリソースにし、それをデータ化して人工知能でシミュレーションを行い、効率良く運用していく。 まさに「コスパ」や「タイパ」を正義とする社会。 パソコン好きなら誰もが環境の最適化をやってますが、それを社会にも適用しようという話ですね。

目指されるのは「人間の最適化」。 それぞれの多様なニーズが効率良く満たされ、自由に自己実現ができるようにしよう。 ただし、そのままだと「万人の万人に対する闘争」が起きるので、本人たちは「自由だ」と感じながら、規範に沿った行動へとナッジを駆使して誘導する。 そのためにデジタル技術を活用しよう、と。

おお、フーコーが笑い死にしそうな管理社会だ。 アニメなら間違いなく「ディストピア」として描かれる未来図を真面目に検討しています。 そういうの、50年前に「ソ連」って国でやってたじゃない? 日本はそちらに向かうつもりなんですか。

痛み

とはいえ、政府の話ではありません。 「最適化」と聞くとワクワクしてしまう「私」の問題です。 暇があれば意味なくWindowsデフラグしていた頃の「私」よ。 この「私」の足元はどうなっているのだろうか。

戸谷先生はまず「スマート」の語源から検討します。 ハイデガー系の人のパターンですね。 古代ゲルマン語ではどうだったか。 そこから話が始まる。

この論法は「日本人にとってスマートとは何だろう」に繋がらないと思うんですが、ちょっと付き合ってみます。 すると面白いことにこの語源は「痛み」なのです。 小指をタンスのかどにぶつけたり、奥歯が虫歯になって沁みるときの、あの「痛み」。

「痛みによってリアリティがなくなる」は「なるほど」と思いました。 リアリティは他者とのすり合わせで構成されますが、「痛み」は「私だけ」で自分の中でいっぱいになる。 いっぱいになって、他のことには気が回らない。 自閉こそ「痛み」の特徴です。

そこから「それ以外のものがなくなる」という状態として「スマート」が「痩せる」や「鋭い」を意味するようになる。 ムダなく効率よく物事を処理する「賢い」も射程に入る。 それが現代になり「電話やメモ帳、ラジカセなどのガジェットが要らなくなる」という「スマートフォン」に繋がるわけです。 「スマート」は「他のものは要らない」という意味になる。 「余分なもの=ムダなもの」を排除することで成立する。

「痛み」に戻ると「余分なもの」とは「他者」のことです。 いっしょに「リアリティ」を作るためのパートナーとして「他者」があるのですが、それはいろいろと面倒くさい。 行動の予測はつかないし、気分次第でコロコロ変わる。 こちらの思うようにならない。 「他者」などいないほうが自分のニーズを満たすことができます。 「これさえあれば他は要らない」。 スマホを持って外出すれば、財布にもなるしカーナビにもなる。

それが「スマート」に含まれる価値観の正体だろう、と。

日本の「スマート」

翻って、日本語の文脈で「スマート」に「痛み」は含まれるだろうか。 普通に考えると「スマート」は「痩せている」のイメージかな。 それ以前も「スマート・ボール」はあるけど、あれはなぜ「スマート」なんだろう。

スマート・ボールは「パチンコ」ですね。 昔は、列が揃うと景品がもらえた。 台を縦にすることでパチンコに置き換わっていく。 場所を取るスマート・ボールはお祭りの屋台に厄介払いされる。 でもあれのどこが「スマート」か、わからないなあ。

「痩せている」の方は「ダイエット」に繋がっています。 「痩せる」は「やつれる」というネガティブな意味だけど、あるときから価値が置かれるようになった。 太っているより、痩せている方がカッコいい。 テレビ文化の影響だろうか。 自分の身体性をコントロールできているイメージで、太ると「自己管理ができてない」と見なされる。

医療が感染症から生活習慣病にターゲットを変えたのとも関連してそうです。 定期健診で成人病の早期発見を目指す。 結核などの感染症が減ってきてからの状況です。 「スマート=自己管理できている」というイメージが欧米で広がり、日本にも採用された。

そして「ダイエット」がバブル崩壊後に「リストラ」と同一視される。 思春期やせ症が一般化し「摂食障害」と呼ばれるようになる。 「スマート」という病理が社会に組み込まれ「スマホ」になる。 ほほう、この視点は面白い。

読中感想

さて、ここからどう話が進むか。 その予想をするのも読中感想の醍醐味。 ハイデガーの「ゲシュテル」が出てくるのは想定内として、落としどころをどこにするんだろう。

一昔前は「社会の歯車」みたいな表現がありましたが、それはチャップリンの時代まで。 ゲシュテルは「物の持つ可能性を搾り取れるまで搾り取る」ところにあるので、人間に適用すれば人間は「社会の燃料」として扱われる。 労働力として燃え尽きるまで、気持ちよく働いてもらう。 そういうナッジがあちこちに仕掛けられている社会になります。

結局「フィジカル空間とサイバー空間の融合」というのが前期ウィトゲンシュタイン写像理論と重なっているかな。 すると「データ化できないものについては沈黙せねばならない」となればいいけど、「沈黙」ではなく「存在しない」で処理されるだろう。 「個性」ではなく「どのカテゴリーか」で分類される。 服のサイズのように、SかMかLか、それともXLか。 オーダーメイドな職人技は排除される。

ナッジでコントロールできない人たちは「障害者」とされ、合理的配慮の対象とされる。 ハンディキャップを埋めるためのデバイスや薬品が開発され、そのマーケットが活性化する。 デバイスを使わないと損をするように社会に組み込まれていく。

もちろんメリットはある。 たしかに、今までできなかったことができるようになり、人は「自由」を感じるようになる。 いいことかもしれない。 ムダな手続きは省略され、待たされる時間もない。 空いた時間でリフレッシュしてメンタルヘルスも保たれる。

代わりに切り捨てられるのは「他者」だよなあ。 「知らないものと出会う」という機会は無になる。 「あなたへのおすすめ」は「これまで読んできたモノ」の延長で決まるから、そこから外れた出会いがない。 しかも「すでに評判がいいモノ」が検索の上位に上がるので、読んでいる人たちの間で「思考の平準化」が進む。 人工知能で就職の面接を行うと若手男性の採用率が上がる話が載っていたけど、「最適化」とは「それまでの偏見を維持すること」だから、その土台を疑問視する視点は生まれてこない。

その「超スマート社会」とどう戦っていくか。

少なくとも「データ化できないもの」があると意識することかな。 「サイバー空間」に全幅の信頼を置かず、どこかフィジカルなものにも足場を築いておく。 筋トレかあ。 いや、筋トレは「データ化による最適化」の最たるものか。 もっとムダで余分なもの。 「スマート」ではなく泥臭く「厚み」をもたらすものを。

まとめ

というわけで、わからん。 わからんままに後半へゴー!

Obsidianで行の入れ替えをするアクション

テーブルにも対応しました。

行入れ替え

Obsidianのバージョンがアップして「テーブルがドラッグ&ドロップに対応」と書いてあるけど、デスクトップ版だけかな。 モバイルだと動かないようです。

それで、以前作ったアクションを改良してみました。

LineUp.md

リストだとOutlinerの行移動、それ以外だとただの行移動。 そこに、テーブルだとテーブルの行移動になるように追加。

<%*
e = app.workspace.activeLeaf.view.editor
p = e.getCursor().line
s = e.getLine(p)
if(/^\s*[-\*\+] /.test(s)){
  s = "obsidian-outliner:move-list-item-up"
}else{
  if(/^\|/.test(s)){
    s = "editor:table-row-up"
  }else{
    s = "editor:swap-line-up"
  }
}
app.commands.executeCommandById(s)
%>

カーソル行の先頭を見て、呼び出すコマンドを変えているだけです。

LineDown.md

下方向への移動はこちら。

<%*
e = app.workspace.activeLeaf.view.editor
p = e.getCursor().line
s = e.getLine(p)
if(/^\s*[-\*\+] /.test(s)){
  s = "obsidian-outliner:move-list-item-down"
}else{
  if(/^\|/.test(s)){
    s = "editor:table-row-down"
  }else{
    s = "editor:swap-line-down"
  }
}
app.commands.executeCommandById(s)
%>

マクロで登録

TemplaterのHotkeysに登録してから、CommanderのMacrosで呼び出します。

この方法だとモバイルツールバーに載せたとき、Commanderでアイコンを設定できるので、使うときに迷わなくて済みます。

まとめ

Obsidian - Connected Notes 1.5.11
分類: 仕事効率化,辞書/辞典/その他
価格: 無料 (Dynalist Inc.)

「モバイル版の不具合を多数修正」とあるけど、そもそも不具合に気づいてなかった。 どこのことだろう?

Scrapboxの新機能infoboxを使ってみた

AIでテーブル型データベースを作る。

infobox

あれ?どこで見かけたんだろう? infoboxについてScrapbox自身の説明ページが見当たりません。 ユーザが実験してるページはヒットするんだけど。

イメージとすると、すでにあるページを生成AIで要約します。 Notionを意識しているのかな。 表形式で表示する。 絞り込みもできるしソートもできるデータベースです。

使い方

キーワード・ページを作ります。 たとえば「Textwell」というタイトルのページを作り、下記のスクリプトを書きます。

table:infobox

テーブル記法なのでテーブルができるのですが、そのセルに「要約」とか「鍵概念」とか書いていきます。 すると下方に、それに合わせた表が作成されます。

対象となるのは、この「Textwell」へのリンクがあるページです。 内部リンクでもいいし、タグでもいい。 関連付けられていれば、データベースの対象となります。

使用例

こんな感じに下の方に表が出てきます。

サッカーの試合結果をまとめるのに使っている人がいて、たしかにそうした用途に最適。 データを1枚ずつ書いておき、全体を一覧する。 わざわざ元のページを開く必要がありません。 これはdataviewの進化形のイメージかな。

「箱」の欲動

パソコン通信の頃はどこも掲示板で、スレッドにコメントを重ねる形式を採用していました。 BBSですね。 ツリー状に議論が展開する。 この形式をエディタにするとアウトライナーになります。 どんどん話を深めていく。 枝分かれして全体像の厚みが増していく。

それに対しSNSはタイムライン形式です。 時間とともに話が流れていきます。 展開ではなく「流れ」でできている。 ブラウズできる範囲が狭いので、反応がリアクションに留まる。 ツリー状に展開しにくいきらいがあります。

もちろん、BBSも書き込み時はタイムラインであり、たまたまスレッド化するツールがあったのでツリーも把握しやすかった。 それはツールの問題なのですが、ツリーとして見ないユーザが増えれば、ツリー化するツールも廃れていきます。 リアクションのツール、承認欲求を生み出す装置。 ツールがユーザを作り、ユーザがツールを育てる。

Scrapboxは実のところ「ツリー化するツール」です。 ベタでテキストを書くエディタではなく、インデントで箇条書きし、その箇条書きをスレッドのように扱う。 そうしたページの書き方を要請している。 Markdownを採用しないのも、これがテキストを書くものではなく、アウトライナーに近い思考の進め方を想定しているからです。

するとinfoboxは何なのでしょうね? データベースなのは確かなのですが。 ツリーやタイムラインとは異なるもの。 Notionあたりが拾い集めようとしているアフォーダンス。 離散しているものを箱に並べたい。 貝殻を並べたり、古いコインを並べたり。

「箱」の持つ欲動。 これはなんなのだろう?

まとめ

infoboxはなぜ「box」なのか。

追記

infoboxはまだベータ版なので、仕様の変更がありえます。 ご注意ください。

項目をあらかじめ決めておいて、記入漏れを防ぐということかな。 文章自体はフリーの形式でも、あとから一覧表示することができる。

「ブッダという男」を言語ゲームとして読む

仏教界を騒然とさせたと聞いたので読んでみました。

ブッダという男

仏教大から出てきた新進気鋭の仏教学者。 清水先生は上座部仏教の研究で論文を書いてきましたが、一般書は初めて。 とても読みやすい本に仕上がっています。

中村元原始仏教論で育った身とすると、これは新鮮。 そして業界にケンカを売ってますね。 いいぞ、やれやれ。 ブッダ像を固めてはいけない。

まあ従来は「不殺生を説くブッダは戦争反対論者だ」とか「平等主義のブッダは身分差別や性差別と戦ってきた」という論調があり、それが極端でした。 戦後日本の民主主義を古代インドに投影して仏典を読んでいる。 「いま」の理想をお釈迦さまにおっ被せていたわけです。

でもそれは変でしょう、と。 2500年後の状況を、それも極東の僻地である日本の都合なんてお釈迦さまでもご存知ありません。 ただでさえ「千里眼が使えた」とか「額からビームを出した」とか神話化されやすいブッダなので「その神話を剥ぎ取って、原寸大のブッダを描き出そう」という時代になっても、もし「民主主義を先取りしていた」と描写するなら、それもまた「神話化」なわけです。

神話化

気持ちはわかりますけどね。 仏典が「生きる指針」になってほしい。 研究しても、もし現代に活かせない理論であるなら、その研究自体が虚しくなります。 研究者のサガでしょうか。 事実と願望との混同が生じてしまう。 それが今までの「仏教学」でした。

清水先生の論は「そこをクールに割り切ってしまおう」です。 もともと武士階級の生まれであるブッダにとって戦争は日常茶飯事。 戦いの中で殺し殺されることになんの疑問も感じていません。 転生するだけのこと。 それにカースト制の厳しい古代インドでは、身分社会の存在は常識の範囲内です。 それを壊して無にしようとまでは思っていない。

ブッタはブッタで「その時代」のベストを尽くしたし、中村元中村元で「その時代」のベストを模索した。 でもそれは神話化のバリエーションであり学術研究ではない。

神話化を許すと、ブッダは時の為政者の「都合のいい男」になってしまいます。 実際、第二次大戦中に仏教界は戦争に賛成しました。 祖国のために死ぬことを美徳と讃えた。 こうした政治的利用に対し、再発を防ぐ手立てを打っておかねばなりません。

六師外道

さて、本論と関係なく興味を持ったのが「六師外道」です。

お釈迦さんは当時の「バラモン教」に「否」を突きつけたわけですが、すでに「沙門宗教」が興っていたわけです。 バラモン教は「寄付すると来世は天国に生まれ変わる」という司祭階級に都合のいい宗教なので、武士階級の勢力が増すに伴い「自分たちのための宗教を」という運動が活発になってきます。 それが沙門宗教。 日本の鎌倉時代に似てますね。 カースト制度からの自由は、こうした沙門宗教にとっては当たり前でした。

お釈迦さんは新規参入なわけで、他の沙門宗教との差別化も図らないといけなかった。 その点を考慮しないと「仏教の独自性」は理解できません。

  • カッサパ派:何が善で何が悪かは地域によって異なる。
  • ケーサカンバラ派:誰もが物質の集まりで、物質が離散すれば無になる。
  • カッチャーヤナ派:物質と精神は別モノで、影響し合うことはない。
  • ゴーサラ派:人生が苦か楽かは生まれつき決まっている。
  • ジャイナ教:苦行を積めば悪いカルマは消えていく。
  • ベーラッティプッタ派:死後の世界なんて知りようがない。

これが面白かった。 この6つの立場は今でも通用します。 というか「現代的」な考察ばかり。 相対主義唯物論心身二元論、親ガチャ、体育会系、不可知論。 街頭でインタビューすれば、その答えはこの6つに分類できそう。 これも「現在を過去に投影」なのかなあ。 あるいは、人間が生来持つ「カテゴリー」なのだろうか。

ということで、お釈迦さんはこれらと違うことを言わないといけなくなる。 それで出してくるのが「魂はないけど輪廻はある」という立場です。 これはどう考えても筋が通らない。 「魂がないなら、どう輪廻転生するんだ?」という疑問が出てきます。 しかもどんな理屈をつけても説得力がない。 新規参入は難しい。

メタ言語

お釈迦さんの基本思想は「五蘊皆空」です。

般若心経もそんなことを書いてますが、あれはそのあと十二支縁起や四諦論を否定して「無所得」とか言い出すので、ジャイナ教とのチャンポンかもしれません。 仏教も時代に合わせて変化していくもので、仕方ないことです。

で、五蘊。 人間は5つの要素で構成されている。 肉体・感覚・思考・意志・認識。 これらは相互に影響し合っていて、単体では存在しない。 そりゃあそうで、感覚無しに思考をすることは無理だし、思考せずに何かを意志するのも不可能です。 これらの相互作用を仮に「私」と呼んでいる。 なので「私」とは実体のある存在ではない。

「そうは言っても先生、先生も自分のことを『私』と言ってるじゃないですか」と質問され「これは言葉がそうなってるから、そう使っているだけのことです」とブッダが答えているのが斬新だなあ。 流石としか言えません。 言葉を使いながら、その言葉を客観視している。 これ、明らかに「言語ゲーム」を理解してるってことですよね。 この観点は他の沙門宗教にはありませんでした。 他は「有るか無いか」の二択に囚われていた。

このメタ言語性がお釈迦さんの見つけた「悟り」なのでしょう。 言葉を使いながら言葉に騙されない。 メタの立場で言語と付き合っていく生き方。

縁起ループ

言葉に騙されてしまうことが「無明」です。 「言葉に閉じ込められてしまい、目がくらまされた状態」。 そう理解すると十二支縁起ももっともな構造をしています。 十二の要素が連鎖することで「生老病死の苦しみ」を生み出している。

この十二要素には五蘊が隠れています。 五蘊は「色・受・想・行・識」ですが、十二支縁起では「無明」のあとに「行」が来ます。 「言語への無自覚」によって「意志」が生じる。 「行」のあとに「識」、「識」のあとに「色」。 これで五蘊のうちの3つが揃います。 五蘊を時間に沿って論理的に展開している。

そのあと「六入→触」。 「六入」は「眼耳鼻舌身意」なので「色(肉体)」を感覚器に分節化したもの。 それが「接触」によって「受(感覚)」を生む。 色声香味触法。 これで五蘊の4つめが揃いました。

五蘊の「想」は出てこないんですよね。 代わりに「愛→取→有」が並ぶ。 これらは「渇望→執着→存在」という意味で、たぶん「貪り・瞋り・無いものを有ると誤解すること」の三毒を示していると思う。 ここが「煩悩」だと思うので、清水先生の「無明=煩悩」という説にはちょっと同意できない。 伝統的に三毒の「癡 moha」は「無明 Avidya」と同一視されてきたけど、元の単語は違います。

あるいは「無明」も「三毒」も「想(思考)」の領域で、言葉に囚われて思考を紡ぐと、それが意志に影響し、その意志が認識を偏らせてしまう。 認識が偏ると、それに合わせた身体動作が常態化し、それが感覚を規定してしまう。 自分に都合の悪いものは見ることも聞くこともできなくなる。

その感覚が再び思考に影響することで「三毒」という煩悩が完成する。 欠乏感に駆り立てられ、他者から奪おうとしたり、あるいは他者に騙されるんじゃないかと疑念を抱く。 この「煩悩」から次の「意志」が生まれ「認識」が生まれ、2周目に入る。 3周4周と回を重ね、煩悩が強化される。 この反復で生老病死を「苦しみ」と受け取ってしまう。

そんなループを考えたらいいのかな。

まとめ

「だから輪廻転生する」と言われても、このロジックがわからんなあ。 危惧するポイントはわかります。 もし輪廻がないと、真面目に生きても報われないことになる。 「じゃあ、生きてる間は裏金作って、自分の好き勝手やればいい」と開き直られると、この世が立ち行かなくなります。 だから、悪いことをすれば悪い目に会う。 そう信じたい。

でもお釈迦さんはそんな輪廻の話はしてないですね。 それに「悪い目に会えばいい」と願うのは、ちょっと心が狭いです。 ブッダは「良いことすると、それだけで気持ちいいなあ」以上のことは言ってない。 生老病死が「苦しみ」ではなくなる。 ただ、時おり「この間の前世でこんなことがあって」と言い出すのがインド的日常会話。

追記

そうそう、前にウィトゲンシュタインのことを書いたときにも思ったけど、もし彼らが現代に生まれ「ソフトウェア」という概念を知っていたら、もう少し違う表現を取ったんじゃないかと思う。 昔は、使えるメタファーが「ゲーム」や「音楽」しかなかった。

他の人たちは「自己」をハードウェアだと思っていて、それを「魂」とか「人間の本質」とか議論しているところに、お釈迦さんもウィトゲンシュタインも「自己はソフトウェアかも」と考えたのだと思う。 それまでと違う土俵を出しちゃったので、どうも周りと話がかみ合わない。 歯がゆく思ってそうなんだよね。

追記 3/22

あ。 いま「悟り」がわかりました。

もし私が「悟り」を開いたとして、その「悟り」がお釈迦様の「悟り」と同一のものか判定する方法はないってことだ。 第三者が判定するには「お釈迦様の悟りは何かを知っている」という条件が必要になるけど、それはその第三者が「悟り」を開いていることになる。 でも、その第三者が「悟り」を開いているかを判定するには「すでに悟りを開いている第四者」が必要になって、以下同文。

以上「悟りの判定はできない」の証明完了、ってことになるわ。

Obsidian Thino をカスタマイズするCSS

Memosの頃よりフォントが大きくなってる?

Thino

MemosがバージョンアップしてThinoになりました。

で、ですね、フォントが大きい。 どうも通常の編集画面と同じフォントサイズが適用されています。 書き込む方も、表示する方も。 でも、ちょっとメモをする用途なので、コンパクトに引き締まった感じになってほしいです。

ということでカスタムcssを作ります。

Thino.css

CSS Editorで下記スクリプトを書き込んでください。

.memo-editor-wrapper .cm-contentContainer {
  font-size: 18px !important;
}

.memo-editor-wrapper .btns-container .action-btn {
  background: mediumaquamarine !important;
}

.memo-content-text p {
  font-size: 15px !important;  
}

memo-editor-wrapperが投稿欄で、btns-containerは投稿ボタンです。 memo-content-textが一覧表示。

使用例

ボックスの余白が目立ってしまうかなあ。 どこで調節するんだろ?

まとめ

クラス名を見るとmemoとthinoが混在してる。 今後thinoに統一されそう。

Obsidian Zoomをテキストのどこからでも起動

または、ツールバーにアイコンをつける方法。

Zoom

ObsidianはZoomを活用してなんぼ。 テキストを見出し区切りのブロックとして扱える。 「アウトライン」との相性も良くて「書き方そのもの」を変えてしまいます。

あまりに軽快なのでTextwellにも似たアクションを作ったほどです。

問題点

ところがTexwellの方が使いやすい。 本家を超えてしまった。

「なぜだろう?」と考えてみると、Obsidianでズームするには一度カーソルを見出し行に載せないといけない。 文中ではズームが効きません。 ここが面倒。

ズームアウトはカーソルがどこにあってもいいのに、ズームインは見出し行に限定されてしまう。 この不均衡が違和感を生み出すみたいです。

マクロ化

それで「カーソルがどこにあっても、そのブロックをズームしてしまう方法」を考えてみました。 Commanderプラグインにある「Macros」を使います。

「Macros」で「Add Macro」をタップ。 マクロ名を「Zooming」とし「+ ADD COMMAND」で下記の順にコマンドを並べます。

  • すべての見出しとリストをフォールド
  • 左に移動
  • Zoom: Zoom in
  • すべての見出しとリストのフォールドを解除

「Save」でマクロを確定します。

これでモバイルツールバーの「グローバルコマンドを追加」のところで「Commander: Zooming」を追加できます。 ツールバー上のアイコンは「?」になりますがCommanderの「Mobile Toolbar」でアイコン設定できます。

使い方

さらにモバイルクイックアクションに「Minimal Theme Settings: Toggl focus mode」を設定するとこの通り。 画面がシンプルになる。

キーボードが「一般防御魔法」であること以外に気が散る要素がない。 これがズームの利点ですね。 認知リソースをテキストに全振りする。 いやあ、書きやすいです。

アイコン問題

Templaterのアイコン問題も同じ方法で回避できます。

つまり、Templaterアクションを作ったら Hotkeys に登録し、それをCommanderの「Macros」に書き込みます。 マクロ経由だとツールバーのアイコンを後から設定できる。 これでいくら並べても区別がつくようになります。

まとめ

Commanderマクロを使えば手軽に「魔法」が生み出せる。