Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

すべては読書感想文から始まった

Sometimes we make bad decisions, and you know what? That’s totally ok.|600 Backlink | Photo by Road Trip with Raj on Unsplash

夏休みです。 世の中の子どもたちが読書感想文に悩まされる季節です。

考えてみると、この読書感想文という習慣は悪くないかもしれませんね。 人生全体を左右すると言ってもいい。

読むこと

というのも「書くこと」を考えると、どの分野でも「読書感想文」になるからです。 先人のテキストを丁寧に読む。 何を志すにしても「読むこと」は欠かせません。 まったくの「無」からアイデアが生まれることはない。 時空を超えた対話。 テキストを読み、それと対話を繰り返す中で自分の奥底にある「考え」にたどり着く。

分野によってはテキストが「実験結果」の場合もあります。 微生物の生育条件を変え、どんな違いが生まれるかを調べる。 それもまた「テキスト」です。 実験者による「読み」を待っている。

あるいは極北の村に住み込み、そこの人たちの暮らしを観察する。 それも「テキスト」です。 必ずしも文字で書き表されているとは限らない。 関与しながらの観察という読者目線がテオリア(観想=理論)を生み出す。

事実を集めただけでは発見になりません。 データを「読み解かれるもの」として扱う視点が大事です。 どの分野に進むにしろ「読書」がその基礎にある。

感想

しかも読書感想文は「読書」と「感想」のハイブリッドです。 読めばそれで終わり、ではない。 感想が必要になる。

「感想」という言葉もいいですね。 それはまず「感じること」です。 五感を最大限に働かせ、テキストと向き合う。 見るだけではダメです。 そこに「声」を聞かないといけない。 味や匂いもテキストには漂っています。 さらに、読むに従い湧いてくる肌触り。 それも感じることの根底をなしています。

そして「想うこと」。 「思うこと」ではなく「想うこと」。 イマジネーションに身を委ねる行為。 テキストに触発された自由連想、ビオンの「モノ想い」が心を満たす。

「感じること」が外の世界を遊ぶことだとしたら、「想うこと」は内の世界にたゆたうことです。 その二つを重ねた「感想」という言葉は素晴らしい。 読書報告文でもないし、読書考察文でもない。 戦い終わったあとに将棋の棋士が行う感想戦。 事実を振り返りながら、起こり得たパラレルワールドに身を任せる。 ヴァーチャルな世界。

それは学校では教わらない。 そもそも教えようのないのが「感想」です。 大きな休息のうちでしか起こらない。 だから「おうちでの宿題」にするしかありません。

夏休み

なので、しっかり休みましょう。 この暑さは脳みそを沸騰させます。 自然相手では太刀打ちできません。 時間に追われる日々から身を解き、夏に溶けていきましょう。

子どものうちに「休み方」を身につけるのは大事です。 自分の身体を一度解体してオーバーホールする。 それが身につけば、大人になって仕事が楽になります。 働いているふりをしながらエネルギーを充電する裏技が使えます。 うまく手抜きができる。

それが使えないと、心の産毛がすり減って、気がついたときには禿頭です。 何も頭に残らない。 貧相になってからでは時すでに遅し。 もちろん髪の毛の話じゃなくて、細やかさを受け取る感性のことですけど。

感じることと想うこと。 頭には栄養が必要です。 何もしなくても疲れは溜まっていく。 栄養を取らないとやせ細ってしまうのは世の道理。 寝たり食べたりで回復するのは身体だけ。 心に栄養を届けるには、感じることと想うことが大切です。 その気持ちを育むテキストが、この世界のどこかにある。

それが「休むこと」のキーポイントです。

まとめ

いい本との出会いがありますように。

それと

懺悔も大事。