Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

Obsidianの一行目をファイル名にするアクション

Textwellに慣れると「ファイル名」を付ける習慣がない。 Obsidianは最初にこれを尋ねてくる。 パソコンだなあ、と思います。

アクション

今回はファイル名。 新しいファイルを作るとき、名前を決めるのが面倒くさい。 「無題のファイル」でもいいじゃないですか。 後から決めればいいことです。

Naming.md

タイトル付けのスクリプト。 TemplaterのTemplate Hotkeyに登録してください。

<%*
s = tp.file.content.split("\n")[0];
tp.file.rename(s);
%>

使い方

「無題のファイル」のまま文章を書く。 書いているうちに内容が固まってきて、一行目にタイトルを書きますよね。 そのときNaming.mdを実行すると、その一行目をファイル名に書き込みます。 推敲するうち、また書き換えることもある。 何度もある。 誰だってそうする。 そのときNamingでファイル名を変更するわけです。

名前というもの

どう考えても、最初にファイル名が決まるわけがない。 それで連番にしようというのがツェッテルカステン。 わかるけど、同意しかねます。 発想が「マイナカード」だものなあ。 ファイルを開く前に内容を知りたい。 それが「名前」というもの。

矛盾がありますよね。 中身が決まるのは中身を書いてから。 その人の本質が見えてくるのは人生を生き終えてから。 ところが、生まれたときに名前が付けられる。 まだ中身はないのに名前が先行する。 名前が入れ物になるのです。 そこに内容がゆっくりと注入され、名前に意味が付与される。

だったら、後から変えてもいいんじゃないだろうか。 元服したら幼名を捨て新しい名前になる。 真打になったら先代の名を襲名する。 この世を去るときは戒名をつけてもらう。 節目で名前は変わるもの。 それはファイル名でも変わりません。

まとめ

ファイルは出世魚である。