ライブ変換はなぜ嫌われるか
外付けキーボードでライブ変換を使って気づく。ライブ変換で漢字を打つにはスクリーンを見る必要がある。そのため変換中に出てくる「誤変換」を目にしてしまう。多分これが「不快感」を生むのだと思われる。
手で文字を書くとき「誤変換」は起こらない。考えてみると不思議なことだ。漢字を忘れ当て字しても、たとえ間違えた漢字を書いても、そう書こうと思って書いたものである。自分の想定範囲のことであり不快感はない。
ところがキーボードの場合は「不快感」と書くつもりなのに「ふあいかん」と打ってしまい「不哀感」と出てきて、嫌な気持ちになる。ライブ変換はさらに「不快感」の途中で「深い」という変換を見せられ、反射的に訂正したくなる。
不快感の正体
文章を打つときチェック機構が働いているのだろう。それは前意識に常駐している。脳は漢字変換に対し「修正が必要か」といつもチェックしている。意図しない変換が出れば、チェック機構が「不快感」を信号として出す。
ネガティブな感情は注意力を引き上げる。「不快感」を受け取ると意識の水準が上がり、間違いがどこにあるか精査し始める。誤変換の箇所までカーソルを動かすか削除するかの判断をする。認知コストをかけて、文章の修正に取り組むのである。
たぶん、これが疲れる。しなくてもいいことをしているからだ。ライブ変換はチェック機構からの「不快感」が多くなりやすい仕組みだと思われる。
azooKey
それに対しazooKeyはどうだろうか。実はソフトウェアキーボードの場合、スクリーンを見ない。見ているのは手元のキーボードだけ。変換結果もキーボード上段に出てくる変換候補のところだろう。それより上にある編集画面まで目は届かない。
これが良いんじゃないかと思う。タッチタイプができないので、変換中の「誤変換」に気づかない。ある程度打ち終わってから変換結果を見る。そのときは比較的「まともなもの」が表示されている。「不快感」を受け取る回数が圧倒的に少なくて済む。
ライブ変換はソフトウェアキーボード向きである。ただ、現時点ではお勧めできない。困ったことにObsidianやLogseqで入力できないのである。エディタを選んでしまう。それは「ペン」としては失格だろう。そこあたりの改善が待たれる。
まとめ
でもTextwellには最高。これは面白いわ、楽しいわ。頭に浮かんだことがそのまま文字になっていく。