Jazzと読書の日々

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「負けるは勝ち」について

「負けるは勝ち」ということわざは何に由来するのだろう。

いろはかるた

「負けるは勝ち」は犬棒カルタから来ていました。 いろはかるたですね。 江戸時代中期に上方で流行したカルタが江戸にも伝わり独自の進化をした。 なので上方カルタと江戸カルタとでは文言が変わります。

上方で「ま」は「待てば甘露の日和あり」です。 京都では「撒かぬ種は生えぬ」。 個人的な考えでは、まず百人一首のような歌カルタが江戸時代に流行したのでしょう。 木版印刷の技術が上がり、大量生産が可能になった。 でも歌カルタのユーザ層は公家階級だろうと思います。 和歌の基礎を嗜む必要があった。 それに対し、上方カルタは商人階級がアレンジしたのではないか。 そう考えています。

たとえば「地獄の沙汰も金次第」や「下戸の建てた蔵はない」。 いかにもな金銭感覚が反映している。 「陰陽師身の上知らず」や「武士は食わねど高楊枝」など、ほかの階級を横目に見て笑っている。 そんなことわざが目につきます。

そんな商人たちの価値観なので「待てば甘露の日和あり」や「桃栗三年柿八年」「果報は寝て待て」など「時期を見極めること」や「苦節に耐えること」を美徳としています。 子どものうちから商人魂の基本を学習させているのでしょう。

江戸カルタ

さて、江戸に移って何が変わったのでしょうか。 「論より証拠」や「楽あれば苦あり」など対語が目立つ。 「A:B」の二項対立を描き、なおかつ価値を反転している。 職業倫理というより笑いが入っています。 それも「安物買いの銭失い」や「泣きっ面に蜂」のような哀愁が漂う。 そんな感じの笑いです。 ペーソスな可笑しみ。

江戸カルタのユーザ層はどこだったのでしょうか。 庶民ですよね。 でも経営者ではないようです。 労働をするより趣味に生きている。 「芸は身を助ける」や「亭主の好きな赤烏帽子」は、教訓というより娯楽の話をしています。

たぶん「大衆」が文化を支えていたのでしょう。 そして文化の担い手として自負があった。 経済活動より文化活動に重きを置く。 それが江戸っ子の美学だったようです。

負けるは勝ち

「負けるは勝ち」という価値観は兵法に由来します。 中国南北朝時代の著書『兵法三十六計』の中で、最後の戦略とされるのが「走為上」。 つまり「走り逃げることを最上とする」という考え方です。

全師避敵。左次無咎未失、常也(全軍を無傷なまま戦争を回避せよ。混乱なく行い、何も失わないのが兵法の基本である)。 隣国と争えば互いの兵力は低下し、第三国が漁夫の利を得る。 自国の発展を願うなら戦争を避けよ。 群雄割拠のときの常識です。

この知識を元にしたことわざが採用されるのは、江戸の「大衆」が下級武士に始まるからと推測します。 参勤交代のお供で連れてこられ、実質何もすることがない。 傘張りで糊口を潤し、詩吟や俳句を習ったりする。 「貧乏暇なし」なので裕福ではなく、「粋は身を食う」なので華美な生活もできない。

そうは言っても教養はある。 カルタで遊ぶということは文字が読めるということです。 寺子屋が普及する以前で文字が読める階層。 出身の異なるものたちが「街」を作り一時的に苦楽を共にする。 近代的な都市生活者の出現と江戸カルタは重なっています。

まとめ

「負けるが勝ち」で調べると、18世紀アイルランドの舞台喜劇がヒットします。

こちらも気になるなあ。 ある貴族の令嬢が「宿屋の下女」を装い、意中の相手を射止めるストーリー。 格差社会や男尊女卑の価値観を、トリックスター的な振る舞いで転覆させる物語らしい。