Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

iPhoneのKindleアプリでKindle本を買うための方法

Kindleアプリから電子書籍を買うことはできません。アプリ内購入になるとAppleに支払いが生じるからです。Amazonは直接ブラウザでKindle本を購入してほしい。そういう思惑のおかげで使い勝手が悪くてしょうがない。ここはなんとか改造できないものか。

サンプルをダウンロード

立ち読みに当たる「無料サンプル」はKindleアプリでも検索できます。ダウンロードもできる。問題はそのサンプルから購入のページに飛ぶ方法です。それがない。

Shortcuts

ショートカット 2.2
分類: 仕事効率化,ユーティリティ
価格: 無料 (Apple)

でも、困るのでちょいと工夫しましょう。Shortcutsを使います。Safariを開くだけの簡単なレシピです。

レシピはこちら → https://www.icloud.com/shortcuts/d1210a3653b346d091f342c4d3226f63

使い方

共有ボタンからShortcutsを起動します。先程インポートしたSafariレシピを呼び出します。するとSafariが開くので「詳細はこちら」で購入ページに移動できます。

まとめ

Kindle 6.17
分類: ブック
価格: 無料 (AMZN Mobile LLC)

iPhoneKindle購入は手間がかかる。それで、楽をするレシピを考えてみました。こんな裏技を通るよりは、Kindleアプリ自体にSafariで開くボタンが付けばいいだけなんですけどね。

質問駆動型ライティング

ブログとは、まず「問い」を作ることである。

哲学な日々

文章を書くとは独り言ではない。文章を書くとは人に読んでもらうことである。じゃあ、どうすれば読んでもらえる文章になるか。そのことが書いてありました。野矢先生の本の「論理的に書くために」の章。なるほどなあ、と思ったので覚え書きします。

質問駆動型

質問を相手にさせる。そこがポイントです。読者に質問をしてもらい、その疑問に答えるとき、文章を読んでもらうことができる。当たり前のことだなあ、と思ったけれど、あまり意識してなかったかもしれない。

もちろん読者が文を読むのは文章が書かれて公開された後ですから、質問を受けてから答えるのではない。疑問を喚起するように書き、そこを一緒に考えていくということですね。こちらの疑問に共感してくれた人が読者になり、それ以降に続く文章に目を通してくれる。そこに賭けるわけです。

いい文章は質問が質問を生む文章である。小説や漫画の登場人物が、作者の意図を離れ、自分自身で動き始めるとき。小説や漫画の場合は、そうしたストーリーになったときにリアリティが出てくる。

論文の場合は、質問がひとりでに展開を始めるとき。それは書き手も五里霧中に放り込まれるけれど、アクロバティックなサーカスの綱渡りを見るように、絶妙なジャズのインプロヴィゼーションを聴くように、たぶん楽しい。

ときには楽しくないかもしれないが、少なくとも書く自分自身は驚きの連続で、自分はこんなことを考えていたのか、と楽しい。そうなるのは、最初の「質問」が動き出すことに限る。すると、いい質問を発見することが大事なんだろうなあ。

接続詞の活用

質問が動き出すにはどうすればいいか。それは接続詞を使うことである。接続詞は書き手の「答えよう」という姿勢の現れである、と。

そういう視点はなかったかもしれない。ちょっと考えてなかった。接続詞がないほうがカッコいいイメージもあったかもしれない。あんまり使わないようにしてました。アウトライナーに頼りすぎると、接続詞が抜けてしまいがちなんです。

でも、接続詞は息遣いが出る。これでは伝わらないか、と焦れば「たとえば」と具体例に話が進む。込み入ったところに入り込んだか、と後悔すれば「つまり」と要約を示したくなる。

たしかに「つまり」は、正確な意味での「要約」ではありません。自分で立ち位置が見えなくなったとき「自分はどこにいるんだ? ああ、そうか。今ここなんだ」と確認のために「つまり」と区切ることが多い。

読みにくいんじゃないか、と気にして削りがちだけど、むしろ読者とともに「問い」に振り回される体験として使いどころがあるような気もする。そういうことかな。

まとめ

ただ、質問に答えるだけだと一問一答になりやすいとあるけれど、それは文章としては単調なものかもしれないけど、個人的にはそれを乗り越えるだけの力量も才能もない。力量も才能もないなら、一問一答型のブログでもいいかな。

テーマをつないで交響楽に仕上げるのは難しい。小さなテーマの寄せ集めでも、自分の書きたいことが見つかる方向に展開すれば、それはそれで「作品」ではあるのだから、それでもいい。まあ、自分を過信してもしかたないからね。

気軽に書いてこその「モブログ」です。

TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その4)

Scrivenerで原稿ができたら紙に印刷したい。最終推敲は紙じゃないとなぜか見通せないんですよね。紙に印刷して赤ペンを入れる。

そうした場合、基本はPDFにコンパイルしてDropboxに保存し、それをパソコンで印刷する方法でしょう。でもプリンターがない場合もある。そもそも自宅には置いていない。そんなケースでは、コンビニのサービスを活用する方法がオススメです。

PrintSmash

PrintSmash 2.5.0
分類: ユーティリティ
価格: 無料 (Sharp Corporation)

シャープの多機能コピー機がコンビニにある場合、このプリントアプリが使えます。PDFを保存して、それをコピー機に転送し、紙に印刷する。一枚あたりのお値段はコピーの場合と同じです。URLスキームは「printsmash:」だけど、何かオプションがありそう。

準備

ScrivenerのコンパイルでPDFに変換します。共有シートが出てきたら「PrintSmashにコピー」で転送。以上で準備完了です。

印刷のしかた

コンビニに行きます。

コピー機のメニューから「プリントサービス>PDFプリント>スマートフォン」の順に選びます。

WiFiのアクセスポイントに「10_SHARP_WF」が現れるので、PrintSmashに表示されたパスワードを入力。

PDFを選択する画面になるので、対象のファイルをコピー機に転送します。

これで印刷を待つだけ。白黒だと一枚10円になります。

Textwellから直接印刷

Shortcutsを使えば、TextwellからMarkdownをPDF化し、PrintSmashに直接送ることができます。準備としてShortcutsには下記レシピをインストールします。

https://www.icloud.com/shortcuts/72e86c4fe3bd443a9aa4161772f8aa52

Textwellには下記アクションをインポートします。

Import Textwell ActionPrintSmash

このアクションを起動するとPrintSmashにPDFが作成されます。あとは上述の方法で印刷します。ソース内の変数STYLEを書き換えると、Markdownの見映えをカスタマイズできます。

まとめ

プリンターって意外とランニングコストが高いんですよね。そうそう印刷する機会はないし、印刷したいときはインク切れになっている。その度にインクを買っていたら財布がもちません。だから個人的にはプリンターを自宅に持たないことにしています。

それでも印刷が必要になる場合はある。そんなとき、コンビニのコピー機を利用するのは手軽じゃないかなと思います。WiFiを一度設定すれば、それ以降は自動的に多機能コピー機と接続できます。

TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その3)

前回は「TextwellからScrivenerに送る」を行ったので、今回はその反対。「ScrivenerからTextwellに送る」を解説してみます。

  • TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その2)
  • ドキュメントを戻す

    Scrivenerのドキュメントは共有ボタンの「コピーを送る」でTextwellに戻せます。「プレインテキスト>Textwellにコピー」でTextwellに送られ、Textwellが起動します。

    読み込みではなく、Textwellのテキストに追記する場合は共有シートの「Textwellに追記」をお使いください。転送と追記の使い分けができるのがTextwellの利点です。

    コンパイル

    Scrivenerでは複数ドキュメントをまとめる「コンパイル」があります。パーツを集めてひと回り大きな段落にする。それをTextwellに戻すのも簡単です。

    Scrivenerでコンパイルを行うと、右上2つめのコピー・アイコンから他のアプリにコピーができます。そこでTextwellを選択すればコンパイル結果を移すことができます。

    コンパイルの工夫

    コンパイルは「ドラフト」内のドキュメントが対象になります。上から順に連結して、1つのファイルに作り変えてくれます。Scrivenerならではの機能と言えるでしょう。細切れのテキストから、一本の文章が出来上がる。

    なので、Textwellから転送したテキストは「ドラフト」に入れるのではなく、別のフォルダを用意したほうがいいです。名付けるとしたら「素材」くらいでしょうか。あるいはプラトンっぽく Khora(無名の場)あたりで。そこから必要な分を「ドラフト」に移動し、その後にコンパイルするのがオススメです。

    まとめ

    この段階のScrivenerは「保管庫」です。テキストを貯めていく。それも1つのアイデアを1つのドキュメントにするくらいのサイズが便利。あまり大きなドキュメントは作らない。

    加筆はTextwellのほうで行います。Scrivenerから来たテキストは「骨組み」であり、ほとんど一から書き直す感じでTextwellで文章にします。「文」を継ぎ合わせても「文章」にはなりません。文章にはリズムがあります。呼吸が宿る。文章は情報を伝えるのではなく、それを書いている時の「こちらの息遣い」を乗せる感じです。どこで息を貯めて、どこで一気に吐き切るか。

    そうやって出来た「文章」を再びScrivenerに送る。今度はそれが「論」を構成する単位になります。

    TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その2)

    論文のつもりで書いていたらあかんなあ。なかなかブログに公開できません。論文だと完成までに何度も推敲できますが、ブログはそうじゃないですね。出来たところからアップしていく。後半部分が未完成でもまず公開して、その文章の流れで次を書き上げていくプロセスです。進行中のまま作り上げる。ingの執筆です。doneではない。

  • TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その1)
  • Textwellで書く

    Textwell 1.8.8
    分類: 仕事効率化,ユーティリティ
    価格: ¥360 (Sociomedia)

    まず、下書きはTextwellで書きます。これがないと、まずiPhoneで文章は書けません。全然違います。下記アクションを使います。

    Import Textwell ActionScrivener

    使い方

    Textwellでアクションを実行するとScrivenerに転送されます。現在開いているプロジェクトに追記されます。追記すれば即時にTextwellに戻り、文章をクリアする。そこまでを一動作で行います。

    Shortcutsに下記レシピがインポートされていることが前提です。

    https://www.icloud.com/shortcuts/bd7a9eab39e44e73b8954e5ac06cfa4e

    注意

    あらかじめ、Scrivenerでプロジェクトを開いておかないと転送されません。フォルダを開いている場合はそのフォルダに追記されます。下書きを貯めていく。下書きが揃ってからがScrivenerの本領発揮です。

    クリアされた文章はクリップボードに保存されます。転送に失敗した場合はTextwellにペーストすれば復活します。同じ段落を別の角度から推敲する場合も、ペースとして書き換えるといいかと思います。

    テキストがなければ

    テキストがないときは、そのままScrivenerアプリが開くようにしました。Scrivenerの推敲に移りたいときにお使いください。戻るボタンが「Textwell」になるので、作業が途切れることがありません。

    まとめ

    Textwellについては自作アクション集をご参照ください。ほんと、いろいろな用途に使えます。Textwellを軸にして他のアプリが統合される。これはほんとに便利です。

    TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その1)

    ブログでシリーズものをアップしようと思うと、その管理は意外と面倒です。並行して文章を仕立てながら、どの部分を先にし、どこを後に回すか考えないといけない。それは長い論文を書く場合も同じで、全体の構成を意識しながら書き進めることになります。

    Scrivener

    そういう場合に活躍するのがScrivener。長文コンポーザーですね。段落ごとに分割執筆し、必要なところだけコンパイルで出力する。現在のiPhoneでの最適解でしょう。

    Scrivener 1.1.5
    分類: 仕事効率化,ブック
    価格: ¥2,400 (Literature & Latte)

    Textwell

    Textwell 1.8.8
    分類: 仕事効率化,ユーティリティ
    価格: ¥360 (Sociomedia)

    ネットを参照しながら文章を書くとしたらTextwell。エディタとしてのTextwellは1つの世界を作り上げます。アクションで拡張することでほとんどの操作を半自動化できる。それでいて「文を書く」ということに特化して、テキストへの集中力を高めてくれます。まあ、これでないと何も書けません。

    Shortcuts

    ショートカット 2.1.3
    分類: 仕事効率化,ユーティリティ
    価格: 無料 (Apple)

    TextwellとScrivener。この2つの間を埋めるのがShortcutsです。Textwellで書いてScrivenerで推敲する。そのモバイル書斎を快適にするレシピを考えてみました。下記リンクを参照。

    https://www.icloud.com/shortcuts/bd7a9eab39e44e73b8954e5ac06cfa4e

    Textwell側には下記アクションをインポートします。

    Import Textwell ActionScrivener

    まとめ

    この環境を構築すると、どこでも文章が書けます。どこでも推敲できると、パソコンで書くことに違和感を抱くようになるかもしれません。自分の身体が変化する。そういう奇妙さへの入り口になっています。

    次回から詳しく「Textwell+Scrivener」の使い方を検討してみます。

  • TextwellとScrivenerで作るモバイル書斎(その2)
  • 「学習」について

    「学習」という言葉はもちろん、論語の学而篇に由来する。

    学びて時にこれを習ふ。また悦ばしからずや。

    孔子の時代はまだ「悦」の字がなく「説」になっているが、意味に変わりはない。学習は愉悦である。魂が抜け出すほど恍惚として楽しい、と孔子は言っている。変わったお人である。

    さて、問題は「学ぶ」と「習う」の2段階あることだ。つまり、「学ぶ」のあとに「習う」が来る。これはどう違うのだろうか。「学ぶ」と「習う」の間にある差異。漢字での考察はすでにあるものの、日本語ではどうだろう。孔子の意図を離れたところで考えてみたいと思う。

    「這ふ」について

    「習う」を先に見てみる。「ならう」は、動詞の「成る」に接尾辞の「這う」が合成されている。「這う」は継続を表す。「語る」に付けば「語らう」になり、「叩く」に付けば「戦う」になる。「這う」の合成語は多く、「祝う」や「笑う」もそうだろう。言葉を使って相手の霊力を高めるのが「祝う」であり、閉塞した状況を打開するのが「笑う」である。

    「習う」は「成り続ける」という原義である。「踊りを習う」とは「踊りそのもの」に自らを生成することにある。「技術を習う」とは「技術そのもの」が自らの手足のように動くことである。それそのものと一体化し、自分自身の身体となる。道元の「自己を習ふというは自己を忘るるなり」もこの通りである。自己と一体化しているときは、自己自身を意識することはない。それが「習う」の持つ働きである。

    「習う」によって身体化したとき、それを「慣れる」や「熟れる」と呼ぶ。「なれる」は、動詞の「成る」に接尾辞「得る」が付いたものだ。「習う」が行動となったとき「慣れ」が獲得される。意識せず実行に移せるところへと身をはめ込んでいく。それが「習う」である。

    失われた「まぬ」

    すると「学ぶ」はどうだろう。これも動詞「まぬ」に接尾辞「這ふ」が付いたものではないだろうか。「まなぶ」は「まねぶ」の変化と言われる。ただこの説は「まねぶ」のほうが新しいので当たらない。「まねぶ」は、動詞「まぬ」に「得る」が合成した「まねる」の変化と見ておく。「学ぶ」の結果として獲得したものが「まねる」であり、それが「真似」と言われる。表面的な形を模倣することである。

    でも、現代の日本語に「まぬ」という動詞はない。もし過去に存在したとしたら、どんな意味を持っていただろう。少し空想してみよう。思いつくのは「まなこ」という「眼」のことだ。ただし「まなこ」は「ま」だけで「眼」という意味で、動詞ではない。「まぬがれる」も考えたが、これも「眼から逃れる」だろう。なかなか、そのままの姿では見つけられない。

    ただ、「ま」が動詞化して「まぬ」があったのではないかと想像する。「目にする」くらいの意味で、最終的には動詞の「見る」に吸収されたのかもしれない。「みる」は「試してみる」や「考えてみる」のように意図の接尾辞でもある。「見る」は「意識して行う」のニュアンスを帯びている。ぼんやりと目の端で見るほうを「まぬ」と呼んだのだろうか。でも、「ぬ」で終わる動詞というところが変な感じもする。

    ともあれ、「学ぶ」は「見続ける」であると考えてみる。師匠の行うところを側に控えて観察する。四六時中、目を離してはいけない。見ることによって視覚的に同一化する。教える者がいて、その人が実地に行なってみせる。それを目に焼き付ける。この段階が「学ぶ」と呼ばれるのだろう。

    忘却の学習

    「学ぶ」は観察であり、人との同一化である。「習う」は実践であり、芸との同一化である。テオリアとプラクシス。そうした差異がある。これを漢字の「学」や「習」に当てはめ、読みを決めたのだろう。芸事において「名を継ぐ」のは、まだ「学ぶ」である。守破離の「守」である。師匠を忘れ自己を忘れ、ただ技芸そのものとなる。そのときが「破」である。

    すると「学習」そのものを忘れたとき「離」とされるのだろうか。「学習」には一歩先がある。