Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

問題解決の3つのレベル

問題解決には3つのレベルがある。

問題分析

たとえば、火事になって火災報知器が鳴り響いているとしよう。そこには3つの解決策がある。

  • 解決レベル1 火を消し止める。
  • 解決レベル2 火は止めないが、火災報知器は止める。
  • 解決レベル3 耳栓をする。あるは鼓膜を破る。

方略分析

たぶん、どの解決策であっても「火災報知器がうるさくて困る」という問題は解決する。夜中に鳴り響けば眠りに差し障るし、とりあえず耳栓で睡眠を取る方法もあるだろう。ただし、その火事が自分の足元ではなければ。まず、その確認が必要。

火事と思っていたものが、実は台所の温度に報知器が反応しただけかもしれない。あるいは、風呂の追い焚きをするとベルが鳴る。それだと生活に支障が出るから、火災報知器の感度を下げて対処する。場合によっては、報知器の電池を抜いてしまっても良いかもしれない。

以上のような場合もあるので、かならずしもレベル1が「正解」とは言えない。

とはいえ

この頃の「問題解決法」を見ると、こうしたレベルを区別していないように思われる。火災報知器が鳴れば、火災報知器のストップボタンを押して、それで安心している。「これがエヴィデンス的にコストパフォーマンスがいい」と言われれば、そりゃあそうだろう。ボタンを押すだけだから。

世の中で言われる「問題」は、大抵がレベル2である。何か先行する問題があり、それ自体は目に留まりにくくスルーされがちなものではあるけれど、感度の高い人がいると過敏に反応する。

そのとき、感度の高い人に「共感」したり「忖度」したりして、その人を鎮める方向に周囲が動く。その人の感度が下がるようなトレーニングや環境調整をする。結果、最初の「火事」が何であったのか、不問のまま先送りされる。これって間違っていないか。

「問題」に出くわしたら、まずそのレベルを区別してみることかな。その習慣から始めてみる。